雪浦について

長崎県西海市大瀬戸町雪浦。角力灘に面した西彼杵半島の西側に位置する町です。海山川の3拍子がコンパクトに揃った自然と長崎市と佐世保市の中心地へ約1時間というアクセスの利便性から、ファミリー層や趣味を楽しむ高齢者の移住なども増えています。

長崎の西、西海市にあります。

2005年4月に、崎戸町、大島町、西海町、西彼町、大瀬戸町の5町が合併し西海市が誕生しました。北に佐世保市、南に長崎市に面した西海市。雪浦が属する大瀬戸町は、昭和30年に瀬戸町、松島村、多以良村、雪浦村が合併してできた町です。角力灘(五島灘)に面する西彼杵半島の西側にあり、長崎市、佐世保市の中心地まで車で約1時間ほどのちょうど真ん中に位置しています。

アクセス 

長崎の西、西海市にあります。

子育て世代、高齢者に優しい町

人口1200人、高齢化率40%

人口1200人、高齢化率は2015年の国勢調査時に40%に達しています。海山川の3拍子がコンパクトに揃った自然があり、林野率は80%に及びます。昔からその豊かな森林資源を活用した炭焼きが主産業でした。

増加する子育て世代と子供たち

統合を迫られている雪浦小学校の生徒数が2017年32名から、2018年に新入生が10名入学し、36名に増加しました。地域にある淳心保育園の園児の数も増加して2018年4月に46名になっています。これもIUターン者が増えてきたお蔭です。

雪浦で暮らす 

子育て世代、高齢者に優しい町

雪浦の歴史

彼杵郡雪浦村

1600年代の前半、慶長の頃、雪浦は、肥前国大村藩領四八カ村の一つで、彼杵郡雪浦村と呼ばれていました。人家は川岸や谷合いに散在し、住民の半数は、農業で、残りは薪炭生産に従事し、他国に搬出して生計を立てていたといわれています。

歴代領主

豊前国田川郡(福岡県)の庄屋であった田川氏が、正平年間(1346年~1370年)に雪浦にやって来て、本村の「城の越」に鳥越城を築き、この地を領したといわれています。やがて、大村純忠の治世を迎えますが、秀吉のキリスト教禁止令により、ヤソ教会領が公領となった天正15年に公領となりました。その後、慶長10年(1605年)に再び大村氏に返され、大村左近が所領しました。しかし「大村一門払い」により、大村左近が追放されてからは、冨永四郎左衛門忠清の所領となり、以後、代々冨永家が300年におよび支配することになります。

雪浦の歴史

雪浦川

雪浦川の川沿いには、かつての番所、庄屋、冨永家、山ノ口、制礼場、問役所、横目屋敷などがあり、民家も軒をつらね、当時の本村でした。

河口の浅瀬にはアサリ貝が多く、その貝の中には小さなカニがいて、これを雪浦名産として大阪方面に売り出していたともいわれています。

国指定遺跡 石鍋製作所跡

雪浦川上流には、ホゲットウ石鍋製作所跡があります。東西約200メートル、南北約150メートルの範囲内に点在する大小11ケ所の石鍋製作跡から構成されており、この種のものとしては国内でも最大規模を誇る遺跡で、今からおよそ千年前、平安時代末期のものと推定されています。

国指定遺跡 石鍋製作所跡

短編映像詩 映像と音楽で巡る雪浦紀行

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