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父の死に寄り添って・・美しい雪浦の伝統とともに

7月18日、父が永眠しました。

ようやくブログの編集画面を開いたものの、何を私は書きたいのか・・・。

個人的なことは、これまで書いてきませんでしたが、今回は、私の父の葬儀について書きたいと思います。

そして、これを通して、雪浦の美しさをまた、お伝えできるものと思います。

私の父、藤田祐幸は、反原発運動に、半生をささげ、放射能被害の国内外の現場を、訪ね歩き、苦しむ人とともに嘆き、哀しみ、怒り・・、自然と人間、人間と人間が共生できる理想の生き方を求め、自らそれを実践しようとしていました。その最後の理想郷をこの雪浦に探し求めていました。

父を、雪浦の伝統の葬儀で、厳かに送ってあげたいと思いました。そして、この美しい雪浦の伝統を、この機会にしっかりと映像で残したいと思いました。これは、父との最後の共同作業です。

友人に、葬儀を映像で残してほしいと頼みました。この美しい映像を残してくれた久保圭樹さんと渡辺美佳さんに心から感謝しています。

 

雪浦には隣保班(りんぽはん)・隣組があります。藤田家も我が家も、中区の4班という隣保班です。この4班は15軒くらいです。もっと少ない班もあります。葬儀の日の8時から、隣保班は地区のクラブ(公民館)に集まります。

女性は、遺族のために炊き出しを行います。丸いおにぎり、味噌汁、煮しめ。鍋いっぱいです。

これは、本当に助かりました。今は、コンビニもあるし、食べ物もどこでも買えるので、正直、この炊き出しがこんなに大事なことだとは、わかりませんでした。しかし、この日まで、遺族は、病院につきっきりで、ろくに寝てないし、食べていないし、次から次へやらなければならないことが出てきて、食事を作っているどころではありません。どこかに買いにいく余裕もありません。そんな時に、運んでくださった、大鍋いっぱいの煮しめと、おにぎり、味噌汁に、どれだけ救われたことか。美味しくて、有り難くて、大事に大事にいただきました。

男性は、クラブ(公民館)で葬儀に使ういろいろなものを作ります。

昔は、棺桶も掘ったそうです。

葬儀の日の昼過ぎ。自宅に少しずつ人が集まってきました。

12時20分、出棺勤行。自宅のお内仏に最後のお別れをするお勤めです。

12時30分、寺総代の川添さんを先頭にお寺へむかいます。

棺は重く、坂道は大変です。

まるで映画か絵本の中みたい。

美しい雪浦の景色に溶け込むように、行列は音もなく進みます。

先頭から、寺総代、三部経朱傘、導師、旗、

お華束(おけそく)、紙花金蓮華(しかれんげ)、香箱、法名

写真、棺、会葬者と続きます。棺はリアカーに乗せて運びます。

1キロほど歩いて、雪浦の集落に入ってきました。

急な階段を上って、真光寺へ到着しました。

重い棺を8人がかりで運びます。暑い中、皆さんありがとうございました。雪浦の集落が一望できます。

全国からたくさんの花を送っていただきました。ありがとうございました。

進行は、林吉行さん、弔電披露は渡辺督郎さんにお願いしました。ありがとうございました。

親族代表謝辞。

本当に美しい日でした。梅雨が明けたばかりの青空に、父が浮かんで見えるような気がしました。

まだ住んで10年ほどの雪浦。地元の方に、一つ一つお聞きし、助けていただきながら、雪浦の伝統の葬儀で送ることができました。

ありがとうございました。

 

治療先の久留米の行きつけのお寿司屋さん「甚六」。なんと、病室に出前してくれたんですよ最後に美味しいお寿司をいただくことができました。ありがとうございました。

6月22日、雪浦の友人と歓談。この日が最後になるとは、だれも思っていませんでした。

翌23日に、いつものように数日間、ちょっと久留米へ治療に行くつもりでふらっと雪浦を出たまま、もどることはできませんでした。

 

雪浦では、この後、初七日まで毎晩、自宅で、念仏講があり、隣保班の方や、親しい方がお参りしてくれます。

そのあとは、四十九日まで、一週間ごとに念仏講があります。

念仏講の夜は、10時ころまで、お酒を飲んで、語り合います。懐かし話や、初めて聞く話、若いころの話、家族の話・・・・・一人一人の友人をとても大切に感じるのです。父のご縁でこうして語り合うことができる、これが念仏講の大切な意味なのかと感じました。

このようにして、父の死から、大分時間が経ちました。毎日のように、遠くからも、自宅を訪ねてきてれる父の友人、知人。次々に届くお手紙。みなさん、私たちが知らない父の姿を語ってくれました。父は、沢山の方に愛されていたんだと、よくわかりました。いい人生だったんです。

苦しい息の父に、「どんな人生だった?」と聞きました。亡くなる二日前のことです。そしたら「波乱万丈、何もやり残したことはない」と答えてくれました。この一言で、私たち残されたものは生きていけるような気がします。

これまでお世話になったみなさま。ありがとうございました。

9月21日に東京で、10月29日に長崎で、偲ぶ会を企画していただいています。ありがとうございます。

 


ゆきや

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