今年の4月に、3姉妹と従妹さんの女性4名で森田屋に宿泊頂きました。その3姉妹の末っ子の磯洋子さん(ドイツ在住)から雪浦への旅物語『雪浦ものがたり』が届きましたので、ここに掲載させて頂きます。これから、どんな物語が生まれるのか、楽しみです。
『雪浦ものがたり』
公衆電話にたたずむ中学生の男の子、立ち話しをしているお母さん二人、まるで知っている人かのように温かいまなざしで会釈をしてくれた。 いこいの広場から眺める夕日は明日を約束するかのように美しくゆっくりと沈む。 雪浦に着いての最初のひとときを私たち旅人4名は不思議な幸せ感にひたった。この土地は何と温かいのだろう。
父の生まれ故郷が長崎県の雪浦と知ったのは昨年2018年の11月のことだった。いわばファミリーヒストリーを追いかけていたことで思いがけなくたどり着いたのが雪浦だった。インターネットで宿泊場所をさがすと迷うことなく「森田屋」さんが見つかり、ご主人の渡辺さんとは電話でお話しもできた。今年の4月は例年と違いそれはそれは楽しみな一時帰国となった。
牧師として長い間各地を転々としてきた父は私たち家族にとってはただ穏やかで優しい父であり、何故長崎のふるさとを語らなかったのかは未だに不明であるが、17年前94歳で亡くなった父の人生の軌跡がこの雪浦から始まったのは嬉しく幸せな想いがした。
大学を卒業してすぐに京都にある母校の英語の教師になるべく渡英したのは大阪万博の開催があった1970年のこと。紆余曲折はしたものの今年でヨーロッパでの生活は49年に突入した。英語は人より長く勉強したはずなのにイギリスの3年間は英語で心の内を語れないもどかしさと悔しさで過ぎてしまった感がある。3年目に就職した日系企業の駐在員としてロンドンからフランクフルトに派遣された。ドイツ生活は今年で46年になる。5年間の勤務の後初めてのNPOをたちあげたのは人との出会いがなければ言葉は習得できないと実感したからだった。ドイツと日本の架け橋を夢見てそれから両国をただよう活動をしてきた。創設に関わったNPOは4団体。日本語とドイツ語の門戸をひらき、その国の文化や人に触れて欲しいと願い活動を続けている。そんな中今回知ることになった雪浦のNPOあんばんねの存在は「人」「文化」「ふるさと」の意味をみんなで共有し育んでいこうという試みと知り是非仲間になりたいと感じた。そう何と言っても雪浦は私のルーツなのだから。実際ドイツから会員の手続きをとり、私も今や会員の一人である。
こうして私の雪浦ものがたりは生まれた。
できれば雪浦を介しこれからたくさんの人に出会い、日本のすみずみが元気になり、答えの見えない混沌とした世界へ日本から発信できることがたくさんあることを知って欲しい!!
最後に森田屋の渡辺さんご夫婦へメッセージ!!
大変お世話になりました。初めてとは思えないほどお話しがはずみ、とても楽しくも有意義な時間を過ごさせていただきました。次回お眼にかかるのを今から楽しみにしています。今回あんばんねの皆様とお会いすることはできませんでしたが、よろしくお伝えください。いつかドイツワインで乾杯したいものです!!
ドイツより 磯洋子