あれは、今から14年前の・・・・
私がまだ滑石に住んでいて、雪浦に家を建て始めていて、あと1・2か月後に引っ越しを控えていた時のこと。
長崎市の「おはなしボランティア養成講座」という講座(名前は定かではありません)に私が参加していて、その中で豊島さんのお話を聞く機会があったんです。豊島さんは、絵本にどれだけ自分が救われたか、絵本がどんなにすごい力を持っているかについて語ってくれました。その連続講座の中で、豊島さんの話だけが、心の奥底にズーンと残ったんです。そこで、長崎市内のわが子が通っていた幼稚園に、豊島亮子さんにお話しに来ていただいたんです。豊島さんは、それはそれは素敵な語り口で、子供たちにも、保護者達にも語りかけ、絵本を読んでくれました。でも、私が、一番びっくりしたのは、豊島さんが語る自分の故郷についてです。その一場面一場面が、私が恋い焦がれて、これから引っ越していく雪浦の景色に重なるんです。川、海、森、橋、砂浜、松林、お寺の鐘が鳴ってお友達と手を振って分かれていく様子、田んぼ、人々の様子・・・・。豊島さんは、最後まで、故郷の名前を言いませんでした。そこで、お話し会のあと、豊島さんに「もしかして、その故郷は、雪浦ではありませんか?」と尋ねると・・・・豊島さんの故郷は雪浦だというんです・・・・ね!!すごいでしょ!!
それからずっと、豊島さんはいつも私の心の片隅にいました。
そして、不思議な縁が重なって、5月24日、雪浦小学校のお話し会に、豊島さんにいらしていただくことができたんです。
ちょっと固まっていた子供たちを、手あそびでほぐしてから、お話の始まりです。
「しげちゃん」。自分の名前が嫌いだったしげちゃん。でも自分の名前に込められていた思いを知って、自分の名前が好きになっていく…というお話。
私は、これまで、絵本を何十回も子供たちに読んできましたが、この日は本当に「目から鱗」。読み語りに、こんなにも癒しの力があることを、初めて実感しました。力を入れず、特にどこかを強調することもせず、さらさらさらさらと読んでいくんです。結構長い文章もあるんですが、さらさらさらさらと。物語の景色がさらさらさらさらと、目の前に浮かんできます。豊島さんの声に癒されている・・・・。お話を読んでもらうというのは、こんなにも気持ちのいいものだったんですね。読み手は、語りを押し付けず、ただただ聞き手に、イメージを流し込んでいる感じです。さすがプロです!!
つづいて、南米のトリニダード・トバゴというところに伝わる昔話「ヤギとライオン」のストーリーテリング。
賢いヤギと、ちょっと間が抜けたライオンのお話し。これも結構長いお話なんですが、淡々と語る豊島さんのお話の世界に、みんな惹きこまれていきます。知恵は使うためにあるということをヤギに教えられ、怖いライオンが愛する家族のためにいう言葉にズキンときちゃいました
この日は、雪浦出身の豊島さんに会うために、渡辺さんと林さんも来てくれました。
豊島さん、13歳まで雪浦の南区に住んでいたんですって。井戸に落ちて助けられた話、お母さんに怒られると「橋の下から拾ってこなかったらよかった・・」と言われ深く傷ついた話、夏の映写会の話、盆踊りの話、担任の先生の話・・・・まるで昨日のことのように、林さんと渡辺さんと豊島さんが語っていると、校長先生が、明治40年の「雪浦村方言調査集」という貴重な本を出してきてくれました。それからは、雪浦言葉満開。春を迎える会では、「雪浦言葉の寸劇をしたいね~」なんて、新たな夢も出てきました。是非とも実現したいものです。雪浦言葉って、本当に面白いんです。なんとか後世に雪浦言葉、雪浦会話を伝えたいと強く思いました。
ふるさと雪浦を深く想う豊島亮子さん。いつまでも、私のあこがれの方です。これからも、どうぞよろしくお願いします。
(二人の写真、記念にここに保存させてください)