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総延長70kmに及ぶ 西彼杵半島の猪垣

ホゲット石鍋製作所遺跡に行く道すがらにある猪垣。
同上

この猪垣の資材である結晶片岩は、雪浦ゲストハウス森田屋のシンボルにもなっています。森田屋改築の設計を担当して頂いたHAG環境設計の、地域資源を生かしたデザインとなっています。

日本の猪垣を調べてみました。

http://www.kinsei-izen.com/ranking/48_shishigaki.html

この都道府県別にあるBランク以上の猪垣の一覧の中に西彼杵半島の猪垣が出ています。総延長が70kmに及ぶものは他にないです。総評価は赤Aになっています。価値判断にかかる事項として次のように書かれています。『中浦村庄屋・郡仙右衛門が8年余をかけて構築した猪垣→大村藩から資金援助がなく、労苦を農民に課したことから、農民の直訴により追放→事業は隣村の共鳴を得て完成/基点の自然石に「享保七/寅年」と着工年が刻字/完成時には全国屈指の規模/野面石を積み上げた構造』とあります。全国屈指の規模なんですよね。

長崎県の文化財にも掲載されています。県指定の有形民俗文化財になっています。

http://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/34

この中に、『猪垣に築きこまれた玄武岩に、10㎝角、深さ2㎜の文字が2行に「享保七□寅(とら)年」(1722)と刻んである。『九葉(くよう)実録』(大村市立図書館蔵)の享保七年六月二十二日の条に「瀬戸ヨリ中浦ニ至マデ石砦ヲ築キ猪鹿ヲ防ギ田園ヲ護ル」とあり、藩の記録に相当する。「大村郷村記」中浦村にも該当の記事がある。当時大村藩は定(じょう)免(めん)法(ほう)を実施しようとした。これは猪害などの免除もなく、年貢は村高に応じ一定するので西彼杵半島では内目も外目も猪害防止のため、高さ1.5m、上幅75m、下幅1.5mの石垣で中央山地を取り囲み、延々と長さ70㎞にわたり築きあげた。この基点の石は中浦、太田和、川内浦の旧3村の三方境目にあたる。』とあります。

この中にある、猪垣のサイズがありますが、『高さ1.5m、上幅75m、下幅1.5mの石垣』の上幅75mは、単位の間違いだと思います。正しくは75cmだと思います。

享保七年1722年はあの徳川吉宗の時代ですよね。西彼杵半島には、文化財が豊富です。この大事な地域資源を、地域活性化の取組みの中に生かしていきたいと思います。

 


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